Literature
文学部の「学び」
―「過去」から
「未来」を考える―
文学部の「学び」 ―「過去」から「未来」を 考える―
文学部長犬木 努
「文学部」というと、「時代遅れ」の学問あるいは「実生活において役に立たない」学問を学ぶ場である、というイメージをもっている人が少なくないと思いますが、果たして本当にそうでしょうか?
昨今、情報技術の発達はめざましく、われわれ昭和世代の人間にとっては、ICT、DX、3D、VR、AIなどといった新奇な呼称には違和感しかありませんが(私自身、これらの言葉を自発的に使うことはありません…)、幼少時からネット環境やスマホ、タブレットなどに慣れ親しんだ若年層(いわゆるZ世代(?)―この用語も自発的には使いませんが…)にとっては、情報技術は肩肘張って学ぶものではなく、空気や水のような存在なのだろうと推測しています。
高等学校の教育課程では、2022年度からプログラミングなどのIT(情報技術)を学ぶ「情報Ⅰ」が必修化されましたし、全国の大学で、「情報」という言葉を冠した学部・学科の新設が相次いでいるのは、上記のような世の中の流れと連動していることは言うまでもありません。
今後の大学教育においても、情報化・デジタル化・実学志向の流れは一段と加速していくものと思われますが、そのような「未来志向」の大学教育において、古臭い「文学部」の「学び」は既にその役割を終えているのでしょうか? 各大学の「文学部」は早晩姿を消してしまうのでしょうか?
私自身は、決してそうは思いません。情報化・デジタル化の流れが加速すればするほど、文学部における、ある種「アナログ」な「学び」、換言すれば「過去への眼差し」の重要性が増してくると考えています。
世の中では、ここ数年の間に、電子書籍が急速に普及しつつあることを実感しますが、おそらく通常の書籍がなくなることはないでしょうし、普通の本屋さんが姿を消してしまうことも決してないと思います。それと同様に、大学教育の場において、文学部の「学び」がなくなることは決してないと思います。
本学の文学部には、日本語日本文学科と歴史文化学科という二つの学科が設置されています。日本語日本文学科では、各時代の文学作品を読み解くとともに、日本語そのものの歴史を学びます。歴史文化学科では、様々な資料(歴史資料・美術資料・考古資料)を用いて、過去の歴史を探究します。
両学科は、いずれも、過去の人間が作り出した「文化遺産」を「学び」の対象としており、いわゆるコンテンツとしての「価値」だけではなく、文字が記されたモノそのものとしての「価値」を重視する点でも共通しています。文学部の柱の一つである「日本語」「日本文学」は私たちの日常的な社会・文化・生活の根幹をなす存在であり、もう一つの柱である「歴史」は私たちの存立基盤(アイデンティティー)の中核をなす存在に他なりません。
私たちが生きている世界/社会/地域の「過去」や「歴史」に眼を向けることは決して「後ろ向き」な営為ではありません。「過去への眼差し」「歴史との対話」を通じて、「現代」を生きるために必要な「地図」を手に入れること、そして、「未来」へ赴くために必要な「羅針盤」を手に入れること、それが大阪大谷大学文学部での「学び」の眼目です。