文学部
第3回目のフィールドワークは、大阪市の歴史的近代建築物の見学です。
その1のブログでご紹介した綿業会館の見学のあと、船場界隈の堺筋にある近代建築物を歩いて巡りました。
まず見えてきたのは、生駒ビルヂング(生駒時計店)です。
この建物は昭和5(1930)年に竣工し、宗建築事務所に当時在籍していた大倉三郎と脇永一雄が設計を担当しました。外観はスクラッチタイル張りのアール・デコ・スタイルの建物で、堺筋に面して時計塔がよく見えています。下の出窓と丸窓は振り子を模した洒落たデザインとなっています。全体がよくみえるように、道路の向こう側に移動して観察しました。
少し歩くと高麗橋の交差点に着きました。北西の位置には昭和2(1927)年に安井武夫の設計で建設された高麗橋野村ビルディングが見えます。安井は大阪瓦斯ビルも設計した人物です。堺筋に面した間口は広く、奥行きが狭い建築となっており、東洋風の装飾が施されています。1階はCafe等の店舗として、2階以上はオフィスビルとして利用されています。
ここからは、お昼休憩を取りながら、船場界隈の近代建築物を自由見学。
建設当時は銀行であった新井ビルや五代友厚の銅像が立つ大阪取引所(旧大阪証券取引所)などを見学して移動しました。
午後からは、日本橋に近い堺筋にある高島屋史料館が所在する高島屋東別館を見学しました。ここは黒門市場やでんでんタウンから近い場所にありますが、周囲とは違う異空間の建物です。
はじめに、普段は立ち入ることのできない建物内部の見学です。髙島屋史料館の橋本由雄副館長と田中喜一郎学芸員部長から説明を受けながら巡ることができました。
ここは、大正12(1923)年に木造3階建ての「松阪屋大阪店」の仮営業所としてはじまり、南館、北館が増改築され、昭和12(1937)年にこれら3つの建物が一つに改装され、国内最大級の百貨店となりました。建物のプロデュースは、夏目漱石の義弟であり「百貨店建築の名手」、「名古屋をつくった建築家」といわれる鈴木禎次です。古典様式にアール・デコ調の装飾デザインを取り入れているところが特徴です。
また、堺筋側の約67メートルのアーケードが完成した時は、その装飾の美しさに人々は目を奪われたそうです。今でも大切に引き継がれ、日常から非日常へと誘う重要な空間となっています。
当時の堺筋には、北浜に三越、備後町に白木屋、長堀橋に高島屋、そしてここ日本橋に松阪屋の百貨店が立ち並び、最も賑わった通りでした。その後、昭和41(1966)年に松阪屋が天満橋に移転し、その2年後の昭和43(1968)年に高島屋東別館としてこの建物が利用されるようになりました。
見学では、当時のままの面影を残すエレベータや通路、階段、床のタイルなどを見て巡りました。
百貨店には地下のフロアがありますが、当時は地下に入ることに負のイメージが持たれていました。これを解消するために、堺筋側の内壁を斜めにせり出し、天井にクリスタルガラスを設置して、光を反射できるよう設計に工夫を凝らし地上の光を取り入れました。
また、古代ギリシャ調の「アカンサス」の葉をデザインしたモチーフがいたるところに装飾され、建物に調和をもたらしています。
ミュージアムパークが無かった時代、人々は百貨店に行くのにおしゃれをして、宮殿に行くような気持ちで出かけたとか。
広い空間の取り方や細部までこだわった美しい装飾など、訪れたお客様に心地よく過ごしてもらう工夫が随所になされていました。
建物の外観も見学させていただいたあと、史料館に戻ってきて、開催中の企画展「FROM OSAKA~百貨店美術部モノガタリ」展について、ギャラリートークを受けながら見学しました。
呉服店の時代に美術部を創設し、美術展を開くようになったことや、近代日本において百貨店の美術部が果たしてきた役割について学びました。
最後に実際に見学した高島屋史料館(高島屋東別館)の模型をジオラマで辿りながら見学を終了しました。
綿業会館、高島屋史料館の皆様には大変お世話になりました。
見学の際には、学生からの多くの質問にも丁寧に対応していただきありがとうございました。
学生達のレポートに、この素晴らしい建築物を遺し、人々に伝えていきたいと強く思ったという言葉がありました。私たちにできる伝え方をしていきたいと思います。
貴重な大阪の近代建築物を見学させていただく機会に恵まれたことに深謝いたします。
(文責M)