文学部
「歴史文化フィールドワーク」は、歴史文化学科の1回生全員が参加(受講)する学外授業(専門必修科目)です。
第1回見学(4月23日(土))に引き続き、5月14日(土)に第2回目見学が行われました。今回は、大和飛鳥東南部の後期古墳および終末期古墳を歩きました。
近鉄吉野線飛鳥駅の駅前広場に10時集合。
あいにくの雨模様ですが、昼前には回復するという天気予報を信じて、歩き始めます。
最初の目的地は、駅から5分ほどの場所にある岩屋山古墳です。
南側に開口する横穴式石室の内部に入ります。
最近では、古墳の史跡整備が積極的に進められる一方で、埋葬施設等を自由に見学できない古墳も増えています。本古墳は、横穴式石室の内部が常時公開されており、とても貴重な存在です。
横穴式石室の全長は16.9m。
非常に整美な切石積みの横穴式石室で、白石太一郎氏が設定した「岩屋山式」の標識古墳となっています。
つぎに、岩屋山古墳から徒歩7~8分のところにある、牽牛子塚(けんごしづか)古墳・越塚御門(こしつかごもん)古墳に向かいます。
牽牛子塚古墳の偉容が見えてきました。
数年かけて、明日香村教育委員会主導による史跡整備工事が行われていましたが、このほどようやく完成し、本年3月から一般公開されています。
雨脚が強まるなか、整備された園路を登っていきます。
牽牛子塚古墳および隣接する越塚御門古墳の埋葬施設を覗き込めるようになっています。
かなり人工的な印象を受けますが、発掘調査の成果により、当時の姿を忠実に復原しています。
牽牛子塚古墳は八角形墳で、規模は対辺長約22mです。
すぐ南東側で、越塚御門古墳が発見されたことにより、牽牛子塚古墳が「斉明天皇・間人皇女の合葬墓」、越塚御門古墳が「大田皇女の墓」である可能性が高くなっています。
近鉄飛鳥駅に戻り、北東側に位置する平田梅山古墳[欽明天皇陵古墳]に向かいます。
平田梅山古墳[欽明天皇陵]は全長140mの前方後円墳です。宮内庁によって、「欽明天皇陵」として管理されていますが、その被葬者については異論も少なくありません。
上の写真は、前方部西側の拝所近くで、古墳の説明を行っているところです。
西側には、同じく宮内庁が管理する「吉備姫王墓」が位置しており、柵内に移設された「猿石」4体を見学することができます。
江戸時代・元禄年間に、現在の「欽明天皇陵」近くで掘り出されたものを、明治初年にこの場所に移設しています。何度見ても不思議な異形の姿です。
カナヅカ古墳を経由して、鬼の雪隠・俎古墳に向かいます。
まずは鬼の雪隠古墳。
つづいて、鬼の俎古墳。
近年、横口式石槨墳の調査例が増えていますが、本古墳のように、「解体」された状態で、横口式石槨の細部を観察できる古墳は例がなく、とても貴重な機会となりました。
近年発見され話題を呼んでいる小山田古墳(方墳、一辺80m以上)および菖蒲池古墳(方墳、一辺約30m)については、説明だけにとどめ、次の目的地、橿原丸山古墳[畝傍陵墓参考地]に向かいます。
30分ほど西に向かって歩き、橿原丸山古墳に到着。
全長310m。墳丘規模は全国第6位の「超大型」前方後円墳です。古墳時代後期(6世紀)に限れば全国最大の前方後円墳で、近畿地方で墳丘内に立ち入ることができる前方後円墳としては断トツ最大規模を誇ります。
南側から後円部を望みます。後円部の上部のみ、樹が生い茂っていますが、その部分のみ、宮内庁によって「畝傍陵墓参考地」として管理されています。
後円部の斜面を登っていきます。雨は止んでいましたが、斜面はだいぶぬかるんでおり、学生たちはだいぶ苦労していたようです。
くびれ部から前方部上面まで歩き、降りてきました。足元が悪く大変でしたが、「超大型」前方後円墳の規模を体感することができました。
本古墳には全長28.4mという破格の規模を誇る横穴式石室が構築されていることが判明しています(埋め戻されており、見学はできません)。近年の研究で本古墳は、欽明天皇の「真陵」である可能性が高まっており、宮内庁の管理地以外の部分については、今後、史跡整備が行われ、歴史遺産として積極的に活用されていくものと思われます。
本日最後の目的地は、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館です。
近鉄吉野線岡寺駅から乗車し、近鉄京都線畝傍御陵前駅で下車。昼食をとったのち、徒歩5分ほどの場所にある博物館に向かいます。
本博物館は、数年来、リニューアル工事が行われており、本学科のフィールドワークのコースから外れていましたが、昨年度リニューアルオープンしたため、今回久しぶりの見学となりました。
まずは、リニューアルオープン記念 令和4年度春季特別展「八雲立つ出雲の至宝」展を見学しました。島根県立出雲歴史博物館から借用された、国宝・荒神谷遺跡出土青銅器や、国宝・加茂岩倉遺跡出土銅鐸など、実に多くの優品が展示されており、食い入るように見学する学生たちの姿が印象に残ります。
その後、常設展示を1時間ほど観覧したのち、流れ解散となりました。
最後まで小雨が止むことはありませんでしたが、それでも大和飛鳥の後期古墳および終末期古墳の「凄み」を実感するとともに、博物館では出雲および大和の考古遺物を堪能することができた一日でした。
これを機会に、古墳時代および飛鳥時代の政治・社会・文化に関心をもつ学生が増えてくれることを期待いたします。
(文責:IT)